『明日を生きる』〓わが人生の記
2017-04-25


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先輩の自伝書の装丁が出来た。ご本人が喜んでいるのが大変嬉しい。
ブックデザインは、著者が喜んで頂けるのが兎に角一番嬉しい。

序章
自分史を書きたいと思ったのはもう一年前になるが、まだ仕事もそれなりに忙しく少し取り掛かってまたしばらく放っておいたり、また思い出しては書いてみたりしていたが今年2014年(平成26年)になり自分の69歳の誕生日を迎えるといよいよおしりに火が付いたような感じを覚えこれからいよいよ本格的に書いてみようと決意した。誰に読ませるわけでもないが自分が生きてきた時代と、あわただしく過ぎ去った過去、あえてさしたる能力のないまま少しばかりの幸運に見舞われてそれなりの人生を生きてきたことに感謝しこれをつたえなければならない。あと何年の命かは神のみぞ知ることではあるが子供たちには父の生きてきた足跡を知ってもらい、また自らの人生を一層有意義に過ごしていってもらいたいと思うからである。、、、、

300ページにも及ぶ大作になった。が、しかしマダマダ執筆は続く様である。
昨日来たメールには「エピローグを書き足して、民主主義の危機(ナショナリズムと分断の社会)」について追記したいとあるのです、、、。

早稲田大学商学部から「1968年4月1日に日本アイビーエム株式会社に入社」、
高度成長期の国内で「ビジネスマンの栄枯盛衰」を味わい、「海外勤務」でスペインへの赴任が決定。「私のスペインでの仕事は大きく三つありました。第一に、、、、第二に、、、、第三に日本からのVIPのいわば接待です。」
「生活にも慣れ妻と私はそれなりに楽しく過ごし3年あまりの海外生活を堪能しました。」
駐在員で訪れた国は、◯マドリッド近郊への旅◯アンダルシアの旅◯サンチャゴ デ コンポステーラ(巡礼の道)◯ポルトガル◯フランス◯ドイツ◯オランダ◯ベルギー◯オーストリア◯イタリア◯チェコ◯イギリス◯アメリカ◯モロッコ
「このように海外駐在時代は家族とともにいろいろな経験をし、おそらくこれがなければなしえなかった多くの国を訪ねることができました。」、、、、、

何とも凄まじいバブリーな生活ではないか。
帰国後日本IBMへの復職、そして退職、起業と正にIT界の今を牽引して来たのです。
そして家族の劇的なドラマが展開され、自伝にしてはおもしろ過ぎの中味、皆さんに読んで頂きたいな〓、、、

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終章
・・・・・・・・
あなたがつまらない一日であったという今日は、昨日亡くなった人にとっては是が日にでも生き延びて何かを成し遂げたかった明日であるかもしれない。なんという深い言葉であるか。毎日過ごしている今日を自分は精いっぱい生きているのかを問いかける言葉である。自分史を書きながらおおいに反省をしているところである。この自戒の念を含めてこの自分史のタイトルを“明日を生きる”としようと思う。子供たちにもまだ見ぬ将来の家族たちにも精いっぱい明日を生きてもらいたいと思う。

私の子供たちには人生を精一杯楽しんで有意義な生活を送り、かつ社会に少しでも貢献できる仕事をしてもらいた。利に固執してはならない。自らの信念に生きてほしい。清貧に生きよとは言わないが利におぼれず高みを目指すのが良い。

私は元気である。
まだしばらくはこのまま人生を大いに楽しんでこの世を見守ることにしよう。

柴田兄、スバラシイよ。
もう少しです最後のガンバリを、、、「脱稿」を楽しみに待ちます。

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